重ねてきた手



「剣術以外で、何か楽しいと思うことはないのですか、アテルイ」
 朝の食事を取りながら、突然詞紀が口を開いた。
「……どうした、急に」
 汁物を吹きそうになるのをこらえて一気に喉に流し込んでから、呆れた口調で訊ね返す。
 詞紀はちまきを箸で崩しながら、少し迷う様子を見せて、
「その……、毎日男の方に剣の稽古をつけたり、護衛として遠出したり、それが仕事のようになっているみたいだから。それ以外でアテルイが肩の力を抜けるものはないのかと思って」
「仕事以外で? だとしたら、獲物を狩る、とかか?」
「いいえ、その、武器を使わないもので」
「難しいことを言うんだな、詞紀。仏教の説法かよ」
「すいません……」
 彼女が頭を下げて呟いた。
 謝られることではない、と分かっている。けれど気の利いた言葉が出てこずに、アテルイは顔を横に向けた。
 しばらく無言が二人の間に続く。
 先に口を開いたのは、詞紀だった。
「今日は、二人で皆様の家を回ってみましょうか。何か楽しめるものを見つけられるかもしれませんし」
「……ああ。分かった」
 詞紀が自分のことを心配しているのが分かるから、「めんどくせえな」と返すわけにもいかない。
 そうと決まると、詞紀は手早く食事を済ませ、器や鍋を片付け始めた。食事を終えて、しばらく彼女の立ち働く姿を見守ってから、
「外で待ってる」
 と、声をかけて戸外へと出た。
 よく晴れた日和で、早くから洗濯物を干している女がいる、または子供達が追いかけっこをして遊んでいる。
 彼らの暮らしを守らなければ、平和ではないのだ。
「お待たせしました」
「いや、待ってねえ」
 アテルイは微笑を口元に浮かべて言った。
「行くか」
 そう言って歩き出す彼の手に、詞紀が手を重ねてつないだ。
 はっとなって振り向くと、白い頬を染めて上目遣いで確認を取ってくる。すなわち、「いけませんか?」と。
 答える代わりに、正面に向き直りつつ、その手を強く握った。
 それぞれの家を回っているうちに、詞紀が言いたかったことを理解した。何もしない時間があってもいい。それがあることで、大切な者との時間をゆっくり過ごすことが出来る。
(やっぱり、こいつの毒には逆らえねえ)
 そう内心苦笑してから、足を止めて詞紀の体を抱き寄せた。最も守るべきは、この腕の中にあった。