嬉しそうな顔が見たいから



 秋晴れだというのに、春香殿の庭に黴くささが漂う。
 せっかくの清浄な空気の中だから、溜めた書物を虫干ししているところだった。
 と、簡単に思い立ってみたものの、詞紀の蔵書は意外と多く(しかも母が集めて、受け継いだものも入っている)、全てを出すのは一苦労だった。
「……ほう、随分と精の出ることだ」
 廊下で、溜息をつく声が聞こえた。庭から顔を振り仰ぐと、空疎尊が感心したような表情で詞紀と、干している書物を見比べている。
「それに、なかなか興味ある書物を揃っているようだな。我の好みと似ているとは、やはり我が妻だ」
 そう言って廊下に広げている書物から、一巻を拾い上げた。
「お読みになりたいものがあれば、どうぞ。書庫に眠らせているのはもったいないですから」
「当然だ。書物とは、人が読んで初めて血肉になるもの。それを綴じたままにしておくのは愚かなことだ」
「……うっ、す、すいません……」
 空疎尊の言葉が胸に鋭く突き刺さった。
 それにしても、と彼は巻物を広げて、呟く。――「確かに、本を整理することも重要なことだ」
 ここぞとばかりに詞紀は反撃する。
「そうですね。空疎様のお部屋は、積み重なった書物でいっぱいですから」
「ほう、言うようになったではないか、詞紀」
「ああ、いいえ、そういうつもりでは」
 ――そういうつもりで反撃したのだが、空疎尊の唇の端を引き上げた笑みを見ると、途端に尻込みして口数を減らす詞紀だった。
「では、どういうつもりだ」
「う、うう……、その、書物を整理なさる時は、お手伝いに参ります、という意味です」
「そのような意味合いは、まったく感じなかったがな」
 だが、ふっと笑みをこぼした空疎尊は、いつになく満足そうだ。
「それに、何か一巻でも目を通してしまったら、この仕事も続かぬであろうな。物好きなことだ、詞紀」
 いや、空疎尊が声をかけてきたから、なかなかこの仕事が進まないのだと、ちょっと思ったが口にはしなかった。
 一人でやっているよりも、誰かと話していたほうが落ち着いていられる。
「……ところで、空疎様。何かご用があったから、こちらへ来られたのでは……」
「ふむ……用がなければ、貴様の顔を見に来るのもならぬのか」
「いえ、そういうわけでは」
 さらりと言われると恥ずかしくなって、詞紀はうつむいた。
「冗談だ。京より唐菓子が届いたから、貴様にも分け与えようとしたまでのこと。少しは休むとよい。茶を用意させよう」
 そう言って、きびすを返してその場を去っていく。
 その後ろ姿を見送りながら、唐菓子を楽しみにする心と同時に、
(どこまでが冗談なのですか、空疎様)
 質問にならない声を胸の内で呟いて、彼の背が見えなくなると、ふっと苦笑をこぼす詞紀であった。
 まもなく冬が訪れるとはいえ、日はまだ長い。