7.待っていたと言って

 昨日まで嫌というほど降っていた雪は、地面に積もった分を残して消えていた。
 青く透き通った空から注ぐのは、眩しい太陽だけだ。それが積もる雪に反射して、目を開けていられない。
 一人、秋篠家の屋敷の門へ出ると、長身を白い衣に包む男が立っていた。
「ゆくのか、詞紀」
 問いかける声はどこか寂しそうで、決意した胸の内がちくりと痛んだ。
 罪を犯して生きている自分を、信頼し、守ってくれた彼の存在は大きい。けれど、後ろ髪を引かれても戻れない思いが別のところで育っていたのだ。
「幻灯火様。ありがとうございました。でも、永遠の別れではありません。私達は同じこの空の下にいるのですもの。また会う日も、きっと来ます」
「そうだとよいが。……ああ、そうだ、護衛としてついて行こうか」
「それでは怒られませんか?」
 詞紀は、思わず笑みをこぼした。これから自分と新天地へ行く相手は、幻灯火の旧友なのだ。
 彼のことを示唆すると、相手は不満そうに口を閉じて黙った。
「幻灯火様。行って参ります。皆を待たせてはいけませんから」
 ――《オニ》が消滅した後、詞紀は一度秋篠家へと戻って心身ともに休めていた。それにはもう一つ、共に行動してきた守護者に旅立つことを知らせる目的もあった。
 それを一通り終えて、今朝、大陸へ渡る船が泊まる渡しへと向かおうとしている。
「では、本性の姿になる。背中に乗れ、詞紀」
「それは、京では目立ってしまいますから」
 幻灯火の本性は、巨大な九尾の狐なのである。
 なおもついて行くと食い下がる彼をなだめて、門前の見送りで我慢してもらった。
 だが、決意したとあっても、別れはいつも名残惜しくあるもので、振り返るまいと決めたのに、歩きながら何度か秋篠家へと顔を向けた。
 そして最後に振り返った時、その門の前に五人の姿が出てきているのを目にしたら、涙が溢れて視界がぼやけた。


 ――大陸へ渡る舟と呼ぶには、粗末なものだった。だいたい渡しというのもひっそりとして人気がない。
 ただ、渡る者達が人の目を憚る一族だから、それが当たり前なのだ。
 積もっている雪を踏んで、その舟へ近づいていくと、女子供は先に行ったのか姿はなく、長身の男と、少年、老人とその側近が数名待っているきりだった。
「お待たせしました」
 遅参を詫びると、長老は手を横に振って笑う。
「そのような言葉はいらん。気にしないでいいぞ。……心のゆく限り、名残の挨拶は済ませたのだな?」
「……はい」
「では、ゆこうか」
 長老と側近が舟に向かう。少年は、物知り顔で詞紀と、黙っている男に視線を交互に配してから、長老の後を追った。
「……よけいな気を遣いやがって」
 少年の背を睨み、彼は舌を打った。
「アテルイ。早く行きましょう」
 そう促して後を追おうとする詞紀の手首が、強く掴まれた。
「……本当に、いいんだな。お前の故郷に戻れなくても」
「はい。私が、あなたの故郷を作るのですから」
 アテルイの色違いの目を見つめ、詞紀は微笑みながら頷いた。
「そして、あなたの故郷が、私の故郷になるのです」
 掴まれた手首が解放されて、すぐに片腕で抱き寄せられる。
「……アテルイ?」
「初めて待った。待ち焦がれるというのは、意外と悪くないな、詞紀」
 その声がやさしくて、驚いて顔を上げた詞紀の口元に、彼の唇が触れる。
 舟の方から、少年の急かす叫び声が響いた。