5.膝枕して
なかなか進まない仕事にかかりきっていると、一日が早く終わる。なのに仕事がはかどった実感はない。
最近、そういう日が続いていて、そうすると半日だけでも疲れがたまる。
その進まない仕事というのが、玉依姫や季封、【剣】に関わる真実を集めた書物を編むことだった。その真実のほとんどが玉依姫または言蔵家にしか伝わっていないので、結局その真実をまとめられるのは玉依姫である詞紀のみになってしまう。
「詞紀。また新たに口伝を記した竹簡が見つかったのだが」
部屋の前で声がした。
「ありがとう、智則」
返事をすると、几帳の間を抜けてするすると入ってきた彼は、室内に視線を走らせてふっと溜息をついた。
「分かってはいたが、やはり大変な仕事だな。……詞紀。これは一生を懸けるものだから、今から早急に過去の真実を突き止めなくてもいいと思う」
「……そうね。でも、なるべく目処をつけたいの。もしかしたら、京の古い史書なども必要になると思うし、京にいらっしゃる古嗣様に頼んで送っていただくこともあるかもしれない」
「だけど……最近寝ている時間が短いんじゃないか。ほら、今日も」
そこで言葉を切ってから、距離を詰めて詞紀の肩を掴んだ。強引に振り向かせられると、智則の顔が近くて、詞紀は瞬きを繰り返した。
「――顔色が悪い。今、しばらく休んでくれ」
「……それは、どういう立場から心配してくれるの、智則」
筆を置きながら、茫然として聞いた。相手はふっと微笑むと、
「もちろん、夫として心配しているんだよ、詞紀」
――そう言われると、従わざるを得なくて、彼女はうつむいて細い声で聞いた。
「あの……膝に頭を乗せてもいい?」
答えはもちろん応だ。
智則の膝を枕にして、身を横たえた。時々、視線を上にやると、彼が穏やかな笑みを浮かべて見守っている。頬を染めて視線を戻すと、高鳴る鼓動を静めるように瞼を閉じた。
しばらくして、詞紀の髪に手櫛を入れながら、智則の声が言った。
「……起きていたら、聞いてもいいか、詞紀」
「何を?」
「どうして、そんなにこの仕事を急ぐんだ。一生を懸けることは、分かっていたのに」
そう訊かれて、深く溜息をついた。というのは、理由を言うために、落ち着きを持つ必要があったためだ。
どんな理由だって、説明する言葉が足りなければ誰にも通じることはない。
「私がね、早く玉依姫についての歴史や、季封について、もっと知らなければと思ったの。言蔵家にしか伝わらない真実もあれば、宇賀谷家にしか伝わらない真実もあるでしょう? そういう真実を、全て知らなければいけないと思ったの」
「贅沢な望みだな。知識をため込むのは、言蔵家の特権なのに」
けれど智則は、おもしろそうに笑っている。
「それでも、全てを知りたいことに理由はあるんだろう。……俺も、【剣】の呪いを解くために、あらゆる知識を求めたから」
今度こそ、詞紀は顔を上に向けて、智則を見つめた。変わらずに、穏やかな笑みを浮かべている。
智則は、詞紀を【剣】から解放する方法を探し求め、その方法を見つけた時、自らを犠牲にすることを厭わなかった。
そういう彼の前で、これ以上言いよどむ必要はあるだろうか?
詞紀もまた穏やかな笑みを浮かべて、口を開いた。
「……いずれ子供が生まれたら、私達が知っていることを全て伝えたいの。母様のことも、智則が、秋房が、皆が私を助けてくれたことを。……それから、強さを求めるあまり、心さえも失ってしまう弱さがあることを」
彼が目を見張って、息を呑む表情をした。
それから、居づらそうに視線をそらしながら、一息入れて、
「……本当に、お前には敵わないな。こうしている間は、甘やかしてやれると思ったのに」
「甘やかす……?」
と、おうむ返しに呟いてから、腕を伸ばして彼の頬に手を触れた。
「あなたにも、分からないことがあるのね、智則」
「……それは?」
そして詞紀は、にっこりと笑った。
「甘えているから、隠し事も全てさらけ出してしまうのよ」
中天の日差しが差し込んでくる室内で、智則の顔がべそを掻くように歪んだ。