2.洗濯しといて

 夕日が季封に差し込む時刻、春香殿の一室で、防具を外されている秋房は何かを思い決した顔で、仁王立ちになっていた。というより、緊張のために防具を片付ける詞紀のなすがままになっているのである。
「秋房。襦袢も脱いで」
「ああ、はい。……って、ここで脱ぐんで……じゃなくて、ここで脱ぐの、か、詞、記」
 口調は途端にぎこちなくなる。それもそのはずで、妻である彼女を「姫様」と呼ばない、と心に決めたのがつい先日だからだ。
 だがそう呼ぶ習慣がついていたものだから、それを改めるのは簡単なことではない。
 詞紀は、といえば当たり前のように秋房を夫として接しているから、ますます秋房は何も言えなくなる。
「今日は朝からずっと武官の稽古だったでしょう。だからとても汚れているじゃない。すぐに洗わないと」
「……それを、姫様のお手で……!?」
 思わず今までの自分が出てしまった。
 一瞬誰もが押し黙り、居づらい空気になってから、詞紀が笑って頷いた。
「ええ、そうですよ。秋房様。私の母も、大切な人の着物を自らの手で洗っていましたから。それに体も拭かないと、汗が引いたら風邪を引いてしまいます。ですから早くお脱ぎ下さい」
「姫様、それは嫌がらせですから!」
「ですが、あなたは私の夫で、私はあなたの妻でございましょう?」
 ――ああ、と秋房は頭を抱えてうなった。
 気長に待ってくれると言ったのに。……だが一度従者の口調に戻ったら、なかなか修正できない自分にも責任がある。夫らしく呼べるように、努力すると誓ったばかりなのに。
「さあ、秋房様。早く」
 詞紀は後ろから、彼の襦袢の後ろ襟を掴んで急かす。自分から脱がなければ、もしかしてはぎ取られてしまうのだろうか?
 諦めて紐を解いて襦袢を脱いだ。褌を巻いたあられもない秋房の背中に、冷たくて心地のよい感触が触れた。
 彼女が、濡れた布で体を拭いてくれている。背中から脇、腰に腕を回して後ろから胸を拭いている時、詞紀の呼吸を背中に感じてこそばゆかった。
 一通り終わって、詞紀の体が離れようとした時、逃がさないようにその左手を掴んで、決意した口調で言った。
「……し、詞紀。その、せ、洗濯、よろしく頼む」
 つっかえながら言うと、しばらく無言で控えていた詞紀が、くすぐったく笑みをこぼして、「はい」と答えた。
「心を込めて洗わせていただきます、秋房様」
「姫さ……じゃなくて、し、詞紀は、いつものままでいいと思う!」
 ほとんどべそを掻くような表情で秋房は訴えた。……訴えなくても分かってはいるけれど、彼女がそういう口調になる時は、ほとんど口調に慣れない秋房をからかっているのだから。
 案のじょう、可笑しそうに笑いながら詞紀が着せてくれた襦袢と狩衣は、肌触りがよく、ほのかな香りが焚き染められて、二人を包んだ。