石山寺の参道は参拝途中の人々で賑やかだった。
信濃国の国府も詞紀から見れば大きな都市だが、それも季封という小さな村に慣れきっているからかもしれない。
京に住む貴族達が石山詣でとしてお参りをするのだから、そういう参拝者を当て込んだ露店が並ぶのも仕方ないのだと思う。
「詞紀。本殿に挨拶も終わったんだし、一杯引っかけてもいいだろ?」
胡土前がそう言って立ち並ぶ露店の一つに入っていく。その後を追うと、旅装束の人々が大勢休んでいる酒場だった。
彼はまず酒を頼んだ。卓を挟んで前に座った詞紀に、「飲むか?」と目配せしたが、詞紀は首を横に振った。彼が酒を飲んでいるのを見ているだけで満足だし、それに人の多さで疲れてしまって、早く今夜の宿に入りたかった。(といっても見つからなければ野宿なのだが)
店の男が瓶子と盃を持ってきた。胡土前は早速盃に酒を注ぎ、一気に飲み干した。
「かーっ、しみるねえ。疲れてる時の酒は最高だな」
「はあ、そういうものですか」
元々酒に興味を持たない詞紀だから、乗り気のしない調子で返事をする。
一方、彼はすぐに二杯目を注ぎ、それも一気に飲み干した。四杯目で瓶子は空になった。
「親爺。同じの持ってきてくれ」
空の瓶子を掲げて胡土前が呼んだ。声が大きいから席に着く客は皆振り返る。すると、何に惹かれたのか、旅衣装姿の女達が老いも若きも集まってきた。
「お兄さん、威勢がいいねえ」
「どちらからいらしたのですか」
「お一人でしたら、ぜひお酒の相手をいたします」
口々に言い合う女達の中心で、胡土前は上機嫌になって一人ひとりへ応対している。そんな彼の顔を見ていると、なんだか無性に苛立たしさが募って、
「すいません、私にもお酒を一つ」
胡土前の酒のお代わりを持ってきた男に、そう言った。胡土前は「だいじょうぶか?」と言いたげに目を丸くして詞紀を見守っているが、詞紀は顔をそむけて無視を決め込んだ。
しばらくすると酒が運ばれてきて、詞紀は手酌で盃に酒を注ぐ。胡土前は二つ目の瓶子も空にする勢いで飲んでいる。が、詞紀が盃に口をつけると、飲む速度が止まった。
対して、詞紀は一気に盃を呷った。頭の中に霧が立ち込めたように何も考えられなくなった。
しかし二杯目を注ごうとする。その手を、猿臂を伸ばして胡土前が止めた。
「ま、待て、詞紀、無理するな。あんたはそんな強かねえだろ」
「平気です、胡土前様。だって、倒れたことなど、ないではありませんか」
「いや、一杯で寝てただろ」
そう言う胡土前の手を払いのけ、二杯目を一気に飲んだ。目が回って、手元もよく見えなくなった。
遠くで悲鳴が聞こえた気がしたけれど、それを最後に意識は途絶えた。
――こめかみがずきずきと痛んだおかげで目が覚めた。
眠気の残る目で見渡すと、どこかの小屋のようだ。
体を起こすと、頭がずきんと痛んで、思わずうめくような声を上げた。
「おい、まだ寝ててもいいんだぞ」
すぐ隣で声がした。というか、隣で横になっている胡土前だ。
「……え、あの、私は……」
「だから、無理するなって言ったんだ。二杯飲んでぶっ倒れたんだっつの。あんたの残りは俺がおいしくいただいたけどな」
酒を飲む話になると嬉しそうだ。そういう顔を見ると、詞紀も思わず嬉しそうにはにかむ。
「……迷惑をおかけして、申し訳ありません」
「いいって、いいって。それに、あんたの気持ちを聞けただけで十分だ」
「私の、気持ち?」
――いや、何も言った覚えなどない。何かに剥きになって、胡土前に倣って酒を呷ったぐらいなのだ。
彼女がきょとんと小首をかしげると、胡土前はそれを見てにやにやと笑った。
「寝言で、他の人は見ないで、私を見て、とか訴えていたぞ」
「そ、そんなこと、私が……っ!」
「寝言だからな、あんたは覚えちゃいねえだろう」
「あ、うう……」
本当に寝言で呟いていたとしたら、恥ずかしいことを聞かれてしまった。というか、それはあの店で呟いたのか? そうなるとその他大勢の人々にも聞かれてしまったことになる。
考えていくとしだいに恥ずかしくなって、顔から火が出るように熱くなった。
いたたまれずに、俯いたきりの詞紀に腕を伸ばすと、彼はその肩を抱いて自分の方へ引き寄せた。
息がかかる距離まで顔が近づく。詞紀の視界に胡土前の顔しか見えなくなると、彼がにかっと笑って、「冗談だ」と言った。
「は……? こ、胡土前様……!?」
彼の胸を押し返そうとしたが、縫い止められたようにしっかりと抱きすくめられる。
「仮に聞いたとしても、もったいなくて教えらんねえよ、姫さん。とりあえず反省して酒は控えろよ」
「……胡土前様に、それは言われたくありませんけれど」
彼の耳の側で囁くように言い返す。上を向いていた彼の顔が、わずかにこちらへと向いた。おとがいを上げると、彼の唇が口を塞いだ。舌を絡ませ、呼吸まで奪うように重ね合う。
(もっと見て、胡土前様。私をもっと知って……誰も見ないで)
口づけの合間、詞紀の閉じた瞼から涙が溢れて頬を流れた。