「今日だけ、女性の剣の稽古役を代わって欲しいのですが」
間の囲炉裏の中で鍋がぐつぐつと煮立っている。それを丁寧に混ぜながら詞紀は言った。
「……俺が、か」
相手は見るからに困惑した顔になる。おそらく女性に剣を教えたことなど、今までないに違いない。
「難しいのは承知しているのですけど、朝から体調が良くないみたいで……」
目が覚めた時から頭を締め付けるような痛みがあるのだった。
それを説明すると、アテルイは考えるような面持ちで両腕を組み、
「だったら仕方ない。引き受けてやる。……それにしても、夕べはちょっと無理をしたか?」
真面目な声で聞いてくる。思わず歓を尽くした昨夜のことを思いだして、顔が熱くなった。
「そ、そうではありません……っ!」
と、言い返しているうちに耳まで熱くなって目眩がした。
――小屋の中に差し込む日差しはしだいに高くなってくる。一人での留守番をしていると、あまりの退屈さに、時が止まっているようであり、しかし気が付くといつの間にか正午になっている。
『体調が悪いなら外に出るな』
と、強い口調で戒められたから、詞紀は今日一日、外出することを諦めて家の仕事をしている。
そういえばこういう時ぐらいしか小屋の掃除を出来ないと思い立って、体に無理をさせない程度に働いた。
「……大丈夫かしら」
ふと心配の声がもれた。視線は小屋の木戸へ向かった。
(皆に、教えられているかしら)
彼にとって男女の区別などないから、男達に稽古をつけるように女達に教えているのではないか。
詞紀には区別してくれない方がいいから、どんなに厳しくても彼の稽古を続けられるけれど、村の女達はそうではない。
余計な口を利く性質でもないから、無言で厳しい稽古をつけているかもしれない。
と、考えているうちに、頭の中で仁王のように剣の型を見せるアテルイと、それを恍惚とした視線で眺める顔見知りの女達の様子が浮かんできた。
(何してるの、駄目よ、駄目……っ!)
心の中で悲鳴を上げた。
(……やっぱり、今日だけ断ればよかった……っ!)
何度も頭を振って想像を取り払うと、慌てて木戸を押して小屋を出る。村の中央の広場まで歩いてくると、女達が取り巻いて、その中心にアテルイがいた。
よほど自分は存在感を出していたのか、声をかける前に皆が一斉に近づく詞紀へと顔を向けた。
「詞紀さん。体は大丈夫なの」
「体調が悪いんじゃ、無理をしちゃいけないよ」
彼女達がわっと詞紀を取り巻いて、口々に心配する声をかけてくれる。
一人ひとりに応じていると、肩をすくめて小屋へと立ち去るアテルイの姿が目に入った。
「あ、あの、稽古は」
彼に声をかけるでなく、女達を促すでもなく、詞紀はそう言った。
「今日は中止だ。詞紀、一日見張っていてやるから、すぐに戻れ」
「は、はい!」
何度も頭を下げて女達の元を後にすると、心配する声が冷やかしへと変わる。
彼の後を追い小屋に戻った時、詞紀はなんだかとても安心して、囲炉裏の向こう側に腰を下ろしたアテルイの隣に座って、彼の体に身を預けた。
「で?」
「はい?」
「何故外に出てきた」
「ああ……ええと」
その時の気持ちを思い出そうとしても、うまく言葉にならない。
しばらくどう言おうかと考えてから、その時感じたままの思いを口にした。
「その、アテルイが、皆に注目されていると考えたら、胸が苦しくなって」
「それで」
「それで、その、どうして欲しいとは考えていなかったんですけど、稽古を中止にして帰ってきたことは嬉しいです」
不意に顎を捕らえられ、上向きになった。噛みつくように口づけを繰り返す。頭の中はとろけるように熱い。
息さえ奪われる激しい口づけが終わり、目を開くと、視界に映るアテルイの顔が潤んで見えた。(涙を浮かべているのは詞紀のほうだ)
「俺を疑ってるのか知らんが、こういうことをするのはお前一人だ」
「アテルイ」
また顔が近づいてくる。強く目を閉じた時、唇ではなく頬に温もりがかすめて、耳元で彼の声が囁いた。
「それとも、もっと激しいことをしてやろうか?」
体が後ろへと傾いていく。まだ昼間だ、詞紀は首をぶんぶんと横に振って抑えようとしたが、床に背中がついた時、詞紀の体を押さえつけるようなアテルイの胸を押し留める力はもう出なかった。
襟元が開かれるのと同時に、再び熱い口づけが唇を塞いだ。