今日までと、これからと、

 ――雨の降る音がする。
 横になっている小屋の屋根を叩くその音を数えることにも飽きてしまった。
(昼間はあんなに晴れていたのに)
 小屋から少し離れたところで山菜を集めては、何も知らなかった頃の幸せを噛みしめていた。
 夜になり、いつものように眠れないままでいると、弱かった雨音が徐々に強くなって、今は滝のような音を立てている。
「……また眠れないのか、詞紀」
 気遣うような声が聞こえて、寝返りを打った。闇の中で姿は見えなかったが、視線の向こう側で顔を上げる気配がした。
「あなたが……何を考えているのか不安だから」
 ――季封から持ってきた《剣》は、《オニ》との戦いの中で解放され、《オニ》が退散したのと同時に次は彼によって奪われてしまった。
 その解放された《剣》を、彼が――智則が抱き続けている真意が計り知れず、詞紀はここ数日ろくに眠れていなかった。
 だが今までも同じことを口にしていて、その答えは無言で終わるのだから、明確な答えが返ってくることはもはや期待していない。
 他の仲間達の安否も気になるけれど、今は智則の側を離れる気にもならなかった。
 一方、普段は無言で終わる質問に、今夜に限って彼は言葉を返した。……といっても、質問に対する答えではなく、
「……俺は、お前を見守ることしか出来なかったんだろうか、詞紀」
「どうしたの、智則」
「言蔵家の人間として、詞紀が《玉依姫》としての役目を全うできるよう、補佐すればいい。それ以外の気持ちは不要だと考えてきた。けれど、本当にそれでよかったのか?」
「私は、智則が側にいてくれて、安心していたのよ。智則が自分を殺して側にいてくれるから、私も自分自身を殺して運命に従うことが出来ていた」
「運命……」
 そう呟いてから、智則が喉に引っかかったような笑みをこぼす。
 雨音はしだいに強くなっていく。その音にまぎれ、彼の声が聞こえてきた。
「この宿命に囚われていたのは、むしろ俺の方だったかもしれないな」
「智則……」
 半ば顔を上げて、彼へ近づこうとした。だがその間には起こした火がまだ薪の下で赤くくすぶっていて、近寄ることはままならない。
「どうして? 言蔵家のあなたがそうだとしたら、宇賀谷家だって」
「違う……、そうじゃないんだ、詞紀。俺自身のことなんだ……」
 頭を抱えこんだのか、声がくぐもって聞こえてくる。それが急に呻きへと変わった。ここ数日、苦しそうな様子がよく見えた。
「智則……っ! 《剣》を、……《剣》を手放して……っ!」
「……で、できない……ここで諦めたら、秋房に合わせる顔がないんだ……」
 切れ切れの声で拒絶する。
 もう一人の幼なじみの名が出たことをいぶかしく感じたが、そんなことよりも、目の前で《剣》の呪いによって苦しむ智則の真意を掴めないことが、詞紀は歯がゆかった。
 ――と感じた時、光が頭に閃き、《玉依姫》の儀式を行なう自分の姿が脳裏に現れた。
(あの時……)
 唇が震えたが、言葉にならなかった。
(あの日々は、智則にとって今の私と同じように歯がゆい毎日だったの)
 役目柄、彼は「やめて欲しい」と口にしなかった。けれど、時々二人きりの神殿で、詞紀の体を支えながら彼が言った。――『どうしてこんな目に遭っているのか』と。
 今の立場は、それが逆転している。歯がゆいのは詞紀で、何か思いつめているのは智則で。
 だから、「もうやめて」と口に出来なくなった。その代わり、
(今度は私が見守っているから、智則。でも、あなたが危なくなったら、どう思われてもきっとあなたを助ける)
 ――それは、きっとあの儀式の最中、ずっと彼も思っていたであろう思い。そう考えた時、詞紀の胸の奥が熱くなった。
 雨の音は、屋根を突き破ろうとする勢いで叩きつけてくる。

(2014/05/08)