食欲をそそる匂いが手伝っている身に堪える。
《土蜘蛛》と呼ばれる者達の村に捕らえられて随分経った。その間に状況は変わり、詞紀は居候として世話を受けているし、詞紀を連れ去った男は村の剣術指南役と目されている。
(アテルイは、必要とされているのね)
そう思うと、不思議と口元がゆるんでくるのに気づき、さりげなく袖で口を隠した。
「お姫様。どうしたんだい」
村に住む中年の女が訊いた。
「い、いいえ。何でもありません。ところで、男性の皆さんは遅いのですね」
――戸口へ目を向けると、色づいた日が隙間から差し込んでいた。
「遅くまで働いてもらわないと、あたし達は生活が出来ないからね。都の連中に邪魔をされて、ろくな仕事もない。その代わり、夜はだいたい男達の自由にさせてやるけど。……お姫様も、あの男にそうしてやってるんだろ?」
「……ええ、そうですね」
女の言っていることの半分は飲み込めていなかったが、脅されて彼に同行し始めたのは事実だから、アテルイの言うがままになっていることについて否定はなかった。
だが先に話をしてきた女の方が、ちょっと顔を赤らめて無言になったので、詞紀は首をかしげつつ、彼女に倣って口を閉じた。
そうしているうちに、水を汲みに行っていた他の女達、それに村を離れていた男達が帰ってきたと見え、小屋の外が賑やかになった。
「こっちはいいから、お姫様のいい人に水を持っていってあげな」
言葉の意味はちょっと引っ掛かったが、深く気に留めず、水を入れた瓶子と椀を持って外へ出た。
そこでは老若の様々な男女が楽しそうに話をしている。その中で一人立って、同胞を見守る男の側へ近づいて行った。
「アテルイ。皆を守る役目、お疲れ様です」
椀を差し出し、詞紀は言った。
「大したことはしてねえ」
と、突っぱねたが、最強の剣士も喉の渇きには耐えられないらしく、椀を取り上げ、詞紀に差し出した。そこに瓶子を傾け水を注ぐと、待ち焦がれたようにその水を飲みほしてしまった。
続けて二杯目を注ぎ、それもすぐに飲み終えてから、アテルイは椀を返しながら呆れたように口を開く。
「それにしても、随分なじんでやがるな、女。あいつらに、都の人間だと勘違いされて捕らえられてきたんだぞ」
「ですが、その誤解はもう解けたのですし。……それに、アテルイはとても頼りにされています。だから私も居候ではなく、皆の役に立たなければ」
「人の好い女だ」
アテルイがそう呟いた時、口元に浮かんだ笑みを見止めて、思わず詞紀は息を呑んだ。今までは、笑ったとしても貴族を卑下するものでしかなかったのに。
垣間見た彼の微笑はとてもやさしく、もう一度見たいとさえ思わせた。
ただ、そんなことはアテルイにねだれるわけもなく、胸に何か引っかかったような思いを抱えながら、彼らの夕食の支度へと戻っていった。
一つ確かなことは、この村になじんでいるのは、アテルイも同じだ。