僕らは過去に縛られる

 京に立つ市は信濃国のそれの賑わいとは比べものにならない。
 季封の村から信濃に来ると、物の多さに驚くのだが、京はさらにそれを越えていて、詞紀は唖然とするばかりだった。
 大陸から、海を渡ってやって来る貴重な物が、京で初めて島国の人々の目に触れ、それが地方の国司が在所となる都市に運ばれているのである。珍しい物ばかりなのは当然だった。
 そういう珍品に群がる人の間を縫って、古い書物が並ぶところに出ると、これもまた貴重なものと分かる古書ばかりだと、詞紀にも分かった。
(……これは、智則には宝の山なのかも)
 一つひとつ取り上げて中を広げながら考えていると、連れているその人はどうしているかと思って振り返った。
「え……?」
 同行していたはずの言蔵智則の姿は、辺りを見回してもどこにもなかった。





 ――屋敷の一角を借りている秋篠家の当主、吉影から、「しばらく都の活気をお楽しみ下さい」と勧められて、市にやって来たのだった。
 そもそも古い書物を売る露店に、始めに並々ならぬ興味を示したのは智則だった。子供のように瞳を輝かせて、「行きましょう、姫様」と急いていたのだ。
 幼い頃から一歩引いていた彼だったから、そういう姿を目の当たりにして、詞紀は驚きもし、また嬉しかった。
 都には一足早く着いて、先に都を歩いていた詞紀だから、急いているとはいえ都に不案内の智則より先に歩いていた。
(この人の多さなのだから、もう少しゆっくり歩けばよかったかしら)
 しばらく滞在しているとはいえ、不慣れな都で一人になると心細さが募る。雑踏を掻き分けてきた大通りを戻っていったが、市に賑わいの中、一人を探すのは大変だった。
「……姫様!」
 遠くから呼ばわる声がして、はっと振り返るのと同時に肩に手が置かれた。
 左手に何かの包みを抱え、智則が申し訳なさそうに目を伏せる。
「申し訳ございません。私の方が、つい離れてしまって」
「いいえ、見つかってよかった。……でも、この人の多さだから、気になったものがあれば、呼び止めてくれればよかったのに」
「はい、次からはそのようにいたします」
 詞紀が許すように笑みを浮かべても、智則の表情からしばらく憂いは晴れなかった。
 《剣》を守る役目柄、常に《剣》を背に負うている詞紀を一人にしてしまったことを悔いているのだ。《玉依姫》は《剣》の力を抑え、守るための存在だけど、智則や秋房はその《玉依姫》を守る役目を持っているのだから。
「……これでは、秋房に大きいことを言えませんね」
 苦いものを噛みしめたような顔になって、智則が呟いた。
「それで、智則、何か購入したの? この抱えているものは……」
 いつまでも後悔する幼なじみを見ているのは辛い。詞紀は話を変えて、智則の手にあるものへ視線を下ろした。
「ああ、その、これは」
 珍しく彼が言いよどんだが、迷うような目をたちまち詞紀の顔へと止めて、
「美しい生地を見つけたのです。季封に帰り、村一番の仕立て師に小袖を仕立ててもらいましょう。それを、村に帰った時の楽しみにして下さい。……姫様には、女性として当然の楽しみを覚えていてよいのです」









 ――太陽が色づき始めると、たたむ店も増え、集った人も減っていく。
 長く伸びる影を引いて帰る二人は、それぞれ重そうに荷を抱えていた。智則は、結局足を運んだ古書の並ぶ店に、詞紀は彼の購入した反物を。
「ねえ、智則。楽しかった?」
「はい。まさかこんなに貴重な古書物が手に入るとは。信濃の国府で耳にはしましたが、やはり京には何でも集まるのですね」
 興奮気味に語る彼の目はまだきらきらと輝いている。
「私も楽しかった。……智則、このお土産を季封に持って帰る時、あなたもいっしょなのよね」
「何故……?」
 智則がいぶかしげに詞紀へ振り向く。
「いいえ、深い意味はないのだけど。先の言葉が、まるで他人事のようだったから」
 ――それに、あの雪が降る日、智則は自身の命を差し出すようにして詞紀を逃がそうとしていたから。
 詞紀が無事に季封へ帰るとすれば、彼はいったいどうしようというのか。それともこれはただの思い過ごしなのか。
 この不安を笑うように、智則は微笑を浮かべて言った。
「ご安心下さい。私が責任を持って、姫様が季封へ帰ることを約束いたします」
 詞紀の疑問を否定することはない。不安がなくなることはないのだけど、詞紀は右手で彼の袖を引いて、小さく頷いた。
 ――私の幼なじみは、自分自身の身の上を二の次にするのだから。
 そういう彼らの心を支えられるようにならなければ、と自分を律する意志を固めながら、詞紀は智則とともに秋篠家の屋敷に辿り着いた。

(2014/04/30)