手のひらの誓い

 盥にためた水に手を入れると、しみるほどの痛みが指先から広がって、思わず眉をしかめた。
 夜の冷え込みは深く、さらにいただいた井戸水はさらに冷たく感じる。その水の中で何度も手をこすった。
 水の中でこすり合わせる手は青白い。凍えそうになっても、いつまでも手を洗い続ける。――洗っても、昼間の惨劇の血は落ちた気がしない。手を染めた朱はもう消えているのに。
 《土蜘蛛》と呼ばれる人達を襲えと、摂政・藤原貞繁に命じられた。だが罪なき人々を攻めることは、詞紀には決断できなかった。出来たことといえば、官軍の侵略から彼らを守ることだけだった。
 そのために官軍の兵達を斬った。なるべく命を取らないように、と思ってはいても、殺気をまとう彼らを相手に手加減できるほど、自分の剣術の腕を過信してはいない。
 《オニ》を倒す手段を得るために季封を離れて、京へやって来たのだ。意味のない命のやり取りをしたいのではない。
 なのに、刀を握った手の汚れが、落ちる気がしない。
「落ちない。私が手にかけた人達の血が、全く落ちない……」
「……姫!」
 苦悩を声に出した時、別の声が宛がわれた部屋に響いた。冷たい水から手を引っ張り出されて、思わず顔を上げると、隠岐秋房の苦々しい顔が詞紀を見つめている。
「どうしたのですか。こんなに、手が腫れているじゃないですか」
 彼は両手で詞紀の手を包む。凍えた手が彼の手の熱を奪いそうで、
「秋房、離して」
 と、身を引いて手を取り戻そうとする。しかし案外に秋房の掴む手の力は強くて、決して離してはくれなかった。
 そうしているうちに、冷たい手に熱が取り戻される。すぐにその温もりは、秋房の手のせいだと知れた。
 強く、強く握るその手の温もりが、とてもやさしくて、思わず涙が頬を伝った。
「……秋房、どうして? この手はたくさんの命を奪ったのに」
「それは俺も同じです。こんなことをするために京へ来たんじゃない。……でも、姫は苦しまないでください。あなたが苦しんでいると、俺も苦しくなる。姫の手を借りなければよかった。俺は、源頼光の家臣、渡辺綱なのに」
 詞紀は彼の手を握り返し、かぶりを振った。
「守られるだけの立場にはなりたくないと、思ったのは私だから。秋房が苦しむ必要はないわ」
 ――こんなに力づけようとしてくれるのに、己を責めているのを目の当たりにすると、苦しんでいた自分が甘えているように思えた。
 辛いのはきっと自分だけではない、守ろうとして同じように官軍の兵を手にかけた、空疎尊や幻灯火、胡土前もそうなのだ。
 何より、秋房が不安そうな表情で詞紀を見守っている。これ以上、彼に心配をかけたくはなかった。だから、もう苦しみを表面に出すことは控えようと、思ったその時、秋房が決意を込めた声できっぱりと言った。
「俺がなんとかしてみせます。これ以上、姫が苦しくならないように。命も、誇りも、全てかけても」
 その強い口調を聞くと、心強さを感じると同時に、詞紀は一抹の不安も覚えて、細かく震える両手で秋房の手を強く握った。