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季節が移った。
外は木々が赤や黄色に染まっている。
水田は黄金色の穂が涼風になびき、子供達は山からたくさんの山菜や木の実を採って村に帰ってきた。
「智則様、お帰りなさい」
すれ違う子供達が高らかな声を上げて挨拶をする。智則は何人か従者を連れて、信濃の国府から戻ってきたところだった。
日が西に傾くと、すっかり肌寒くなり、人々の帰る足取りは早い。その中に交じって智則も、季封宮へ帰っていく。
宮殿で働く文官達にいくつか指示を出してから、春香殿へ足を向けた。
玉依姫の私室に着くまでもなく、詞紀は出迎えてくれた。
「お帰りなさい、智則。新しい信濃守様はどのようなお方だった?」
「ああ、古嗣殿の見知っている方だけあって、季封に対して良い印象をお持ちだったよ。悪いようにするつもりはないと、笑っていらした」
「そう。よかった」
「それから、これは詞紀に」
と言って、智則は袖の中から小箱を出して相手に見せた。京の産物の模様ではないが、美しくこしらえた細工物の、手のひらに乗る箱である。
「何?」
と、詞紀が手に乗せて蓋を開けると、ふわりと匂いが立ち上って、すっと消えた。
「焚き物の香?」
箱の中身からきらきらと輝くような瞳を上げて訊ねる詞紀の体を抱き寄せて、
「……この前の香りもいいけど、詞紀にはこっちの方が合うと思う。だから、俺のいる前では、この香りをまとっていて欲しい」
「智則……それは、古嗣様に妬いて……」
詞紀が最後まで言う前に、その体をぎゅっと抱きしめ、唇でその口を塞いだ。
その唇に印をつけるように口を吸いながら、呼吸をするために離して、また口を塞ぐのを繰り返しながら、
(……まったく、おとなげないな、俺は)
と、自分自身を反省する。古嗣から贈られた香りが詞紀と合っているほどに、彼が詞紀を知っているのが我慢ならないなんて。
そのために信濃の国府に立つ市で、剥きになって香を探し求めていたことを詞紀に明かせるわけがない。……というか、それが笑い話として、皆と話せる日が来ればよいと思う。
ただ、今だけは詞紀を自分の物にしていたくて、自分の選んだ香をまとわせ、その唇に飽きるほど口づけていた。
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(2013/10/19)