火を熾した囲炉裏の中で、汁物が味噌のよい匂いを立てている。
湯気が上る向こうでは、眠そうな顔の恋人が柱にもたれて座っていた。
「早く目を覚まさないと、出立の時刻に遅れるのではないですか」
木杓子でゆっくり汁物を混ぜながら、詞紀が言った。
「あ? ああ、そうだな」
と、返す声はやはり眠そうだ。
「……随分遅くまで抱き合ってたからな。程々にするべきだった」
「そのようなことは、仰らないで下さい」
詞紀は、頬を染めつつ、顔をそらした。
といっても特にナニがあったというわけではなく、ただ一つの布団の中でいっしょに横になっていただけのことだ。
今日は、集落の男達が少し離れた街まで出て行く日だった。他の男達は街の仕事を見て回ってくるのだが、アテルイは腕が立つため彼らの護衛も兼ねていた。
「寂しいですけど、しばらく街で仕事に就いても構いませんからね。留守を守る女性や、子供達のことは、私がお守りしますから」
詞紀がそう言うと、アテルイがふっと笑みをこぼした。
「……なんですか?」
「いや、お前は頼りになると思っただけだ」
「守られるだけなのは、嫌なのです」
――昔から、季封宮の奥で大切に囲われ、守られてきた自分が、目を開いて世界を見た時、周りにいる人々が自分よりも傷ついていることを知った。
玉依姫の振るう刀は、弱い者を助けるためにある。その刀で、傷ついている人の側に立って戦ってきた。
頼りになる、と評してくれるのは嬉しい。けれど詞紀にとって、それは当たり前のことだった。
「それより、詞紀」
「はい?」
アテルイが手を出した。
「飯をくれ。腹が減った」
「あ、はい。すぐに」
――炊いた米と、汁物に漬物が今朝の食事だ。速やかに食べ終わり、出立の準備を整えてから、家を出て行く彼の後ろに従った。
扉を開く前に、アテルイが正面を向いて、詞紀の体を片腕で抱き寄せる。
「女達を頼む」
「はい、何かあったら、必ず守り通してみせます」
彼の胸に頬を置いて、強く頷いた。その顎を捕えられ、上向きにされたと思うと、くちづけがその唇に降ってきた。
触れるだけではない。噛みついて、赤く刻みつけるようなくちづけだった。
胸が熱い、頬が熱い、――唇が痛い。
「ん……う……」
息苦しさに声を上げた後、相手の体温が引いた。
唇を離したアテルイが、口の端を引き上げてにやと笑った。
「帰ってきたら続きをしてやるから、おとなしく待ってろよ、詞紀」
「べ、別に続きなど……! 行ってらっしゃいませ、アテルイ!」
剥きになりながら、背を向けて、扉を開けた彼の後ろについて行く。さっと屋内に入ってくる朝日は眩しかった。
片手を上げて、待ち合いの場所まで行くアテルイの姿を見つめ、未だ高鳴っている鼓動を抑えつけて、「ご無事で」と呟いた。