正午を過ぎると、集落が急に騒がしくなった。主として女性達の高い声が飛び交う。
その声の元はといえば、洗濯のために水辺へ出かけていた若い女達で、その中心には戸惑った様子の詞紀がいた。
風に乗って切れ切れに、
「詞紀さん。今度私にも手ほどきしてください」
「男達に頼ってばかりではいけませんから」
などと聞こえてくる。
「何浮かれてんだよ、あいつ。俺に頼ればいいじゃないか」
と、稽古をつけてくれと押し掛けてきた少年が、素振りの手を止め、よそ見をして悔しそうにうめいた。
そういえばあの集団の中の一人に、イルカが懸想しているらしいと、先日詞紀がこっそり話してくれたのを思い出した。
「気をそらす余裕があるんだったら、稽古に集中しろ」
「お、おう! 師匠!」
「……だから、師匠はやめろって……」
何度目になるか分からない言葉は、溜息といっしょに途中で消えた。
一方、洗濯から帰ってきた集団は散り散りになって、それぞれの家へと帰っていく。詞紀も袖をたすきがけにした姿で籠を抱えて、戻ってきた。
「しばらく続けてろ」
と、少年に言い残して、物干しを始めた彼女の側へと歩いていった。
着物の皺を伸ばしながら、アテルイの姿を見止めると、
「イルカは上達していますか」
「……よく気がそれる。お前の幼なじみに似てるな」
溜息をついて感想を述べると、詞紀はくすぐったそうに笑って頷いた。――「そうですね、よく似ています」
おそらく海の向こうの季封では、冬獅殿で隠岐秋房がくしゃみをしているのだろう。
つま先立ちで着物を竿に通す詞紀を見守りながら、逡巡してから、
「さっき聞こえてきたが、女達に手ほどきとは、どういうことだ。手習いのことか」
「いいえ。……それが、洗濯の途中で賊に襲われまして」
背を向けたまましゃがんだ彼女の声が緊張を持った。アテルイは眉の端を引き上げて、「それで」と聞き返す。
再び立ち上がった詞紀は、濡れた襦袢を広げて、こちらを見た。
「賊は、なんとか追い払ったのですが、それを見た皆さんが剣を教えてくれと頼んできて。帰ってくる途中、ずっと同じことを言われました」
――アテルイは、口を半ば開けた状態で、彼女の困惑した笑みに目をこらしていた。
よく考えてみれば、賊に襲われて何かあれば、帰ってきた時に分かりそうなものだ。だが彼女らは何事もなかったようだった。
そういえばこの集落の内で、詞紀に劣らぬ男性はアテルイ以外にいないのだ。
と、改めて気づくと、笑いがこみ上げてきて、彼は声を大にして笑っていた。
「な、何が可笑しいのですか、アテルイ。おもしろいことなど、何も……!」
籠から次の洗濯物を取り出そうとした手を止めて、不服を表情に表して言い返す。
「ああ、すまん。気を悪くするな」
笑いをこらえながら、片手を上げて詞紀を制してから、その手を伸ばして彼女の体を抱き寄せた。
「……な、何……何を、皆の目が」
腕の中で戸惑う詞紀の耳たぶに唇を寄せ、囁く。
「お前は、最高の女だ」
名残惜しくも彼女を解放したのと同時に、空気を読んだかそうでないのか、離れたところからイルカが声を張り上げた。
「師ー匠ーーー! いつまでやってればいいんだー!」
「女を守りたきゃ、いつまでとか決めるな、阿呆!」
少年の側へと歩きながら、そう叫び返した。愛する女が強ければ、それよりも自分が強くなければ守ったことにはならない。
少年のためではなく、自分のために、彼の前に立つと、木刀を拾って構えた。
高い高い太陽の下で、木刀の乾いた音は気持ちよく響いた。