夏の日差しが京に照りつけていた。
 帝の御座所を中心とする、簾の下りた渡殿に、琴や笛、琵琶や笙の音色がおごそかに流れる。
 大抵奏でているのは帝に仕える女官という話だが、黒い直衣に身を包む殿上人も笛を口に当てていた。
 それを末席から見物する詞紀は、女官の美しい十二単などの華やかさに目を奪われること半分、もう半分の気持ちは、
(このような席に控えているのも恐れ多いけれど……)
 というものだった。
「よそ見ばかりしていたら、不審に思われるよ、お姫様」
 隣で、秋篠古嗣が顔を近づけて囁いた。ちょっと顔を向けて見つめると、彼はおもしろそうに笑っている。
「それとも、楽器を奏でる貴公子の誰かに目移りかな?」
「そ、そのようなことはありません。ただ、ちょっと気後れしてしまって……」
「正直だね」
 ――そこが君の美点だけど、と呟いてから、古嗣は安心させるように穏やかな笑みを浮かべた。
「京を救ったのは君なんだから、もっと堂々としていればいいよ。こうして乞巧奠が催されたのも、君のおかげだと皆が知っていることだからね」
「……私は何も。むしろそれは古嗣様の力があればこそではありませんか。このたびの祭事も、古嗣様が殿上人を集めて政を早くから立て直されたからです」
「それは……、ああ、譲り合ってたらきりがないな。では、二人で、ということにしようか」
 きりがない、と彼が呆れて苦笑した。詞紀も彼の言葉に同意して、こらえきれずに吹き出してしまった。
 一方、七夕節の祭事はまだ続いていて、奏でる楽器が少なくなって、笙や笛の音に合わせて美しい舞姫達が袖をひらめかせ、舞っている。肩に薄布の領巾がかかり、詞紀はそれを見ると物語の天女を思い浮かべた。
「詞紀。君は何をお願いする?」
「お、願い?」
「そう。この乞巧奠は、縫い物や芸事が上達するように願うと、それが叶うという祭事なんだ」
「そうだったのですか」
 溜息をついて、彼女は再び少女達が舞っているのを見つめた。自分とあまり年齢の変わらない様子だ。
 縫い物も出来ないわけではない。生活をするために必要なことは、一通り母から教えてもらったから。けれどそれ以外は趣味と呼べるほど打ち込んだこともない。(それも玉依姫として当然のことだったけれど)
 詞紀はちらりと古嗣の横顔を盗み見てから、
「上手く舞えれば、古嗣様が美しい舞姫によそ見をしなくなるでしょうね」
「あっ」
 詰まるような声を上げて、彼が勢いよく振り返った。
「それは、先刻の仕返しかな」
「先刻とは、何のことでしょう?」
 知らぬ振りをして鼻をそびやかす。澄ました素振りをしておいて、詞紀の顔はこらえきれずに笑ってしまう。
 その彼女を抱き寄せて、古嗣は言った。
「舞ってくれるなら、今夜寝所でそうして欲しいな。僕の前だけで」
「……古嗣様……人の目が」
 咎めると、名残惜しく古嗣が詞紀を解放する。
 人知れず袖や裾のわずかな乱れを直しながら、(芸事もよいけど……針と糸をもっとうまく使えるようになりたい)と詞紀は思う。彼の召し物を自分の手で縫い上げられたら――と考えたら、古嗣に抱き寄せられた以上に頬が熱くなった。男性の召し物を縫うのは、妻の仕事だ。
 古嗣は甘い言葉を囁いてくるけれど、かわしたと思えば、直後に深みに嵌まっているのは自分なのだと気づく七夕節だ。

update:2013/07/08