春の陽の夢

「――智則」
 と、呼ぶ姫の声を聞いた時の、弾かれたような目覚めのために、自分が居眠りをしていたことを知った。
 夏瀬殿の一室で、季封と巫女の歴史を講義している最中だった。
「読み終わったけれど、次はどうしたらいいの?」
 真面目な詞紀は、もう次の巻物に手を伸ばそうとしている。講義をする身からは嬉しいことなのだが、居眠りという失態を思い出したらそこまで考えが回らなかった。
「そうですね、……ああ、それは後日。ところで姫、お疲れではありませんか。よろしければお休みを……」
 そこで詞紀の笑い声がさえぎった。
「ずるいわ、智則。あなたが疲れているのに、私のせいにするの?」
「いいえ、そのようなことは……」
 疲れているのを否定しているのか、姫のせいにしたことを否定しているのか、自身の思惑が分からなくなった。
「でも、眠くなるのも当然ね。だってこんなにあたたかいのだもの」
 季封は春を迎えていた。しかし春の景色を眺める姫の横顔は、いつかの冬から抜け出せない、凍り付いたような表情をしている。――その顔を見る智則の胸が張り裂けそうになるのを、他の誰も知らない。
「《春眠暁を覚えず》なんて、異国の古人は上手なことをおっしゃる」
「……はい。その通りですね、姫」
 曖昧な相槌をしながら手元の巻物を手繰った。結ばれていなかった紐がゆるんで、一つの巻物がくるくると広がっていく。びっしりと紙面を踊るのは角ばった異国の文字。どうやら異国の呪術書のようなものを持ってきてしまったらしい。
 慌てて巻き戻そうとする智則に目をやって、詞紀は呆れたように笑った。
「本当に、今日は智則らしくない。……そうだわ、今日は講義も鍛錬も終わりにして、昔みたいに秋房と三人でお茶にしましょうか」
 ――ああ、また秋房が出てくるのか、と闇の中から声がした。
 しかし智則はそういう心を隠して、微笑む。
「はい。姫様の仰せならば、そのように」
 そして彼が姫の意志に沿う時、秋房が春香殿の庭に合流すると、茶会の手筈は万事整っているのである。
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