ひっそりと距離を置く





 くすぐったそうな、楽しげな笑い声が聞こえてくる。
 目当ての少女をの顔を見るために、春香殿まで歩いて来ると、小春日和の縁側で猫じゃらしを上手に使いながら猫をからかう詞紀がいた。
 元々意図があって彼女に近づき、許婚者となった仲である。ああいう笑顔を向けられたことはなかった。そして空疎尊もまた、詞紀のそういう顔を初めて見るから、視線は彼女の顔に留まる。
(あのように笑うのか、この娘は)
 例えば幼なじみである隠岐秋房や言蔵智則にも、屈託なく笑うのだろうか。
 そう考えると、理由の知れない苛立ちを覚えた。
 そっと近づいていって、距離を取って彼女の様子を見守った。笑い声は心地よく空疎尊の心を打ってくる。
 もっと近くで、――むしろ詞紀の隣で、あの笑顔が自分に向けられないものだろうか。
 そこまで考えて空疎尊はらしからぬ願望を抱いてしまった自分に苦笑した。詞紀に近づいているのは、己が復讐の手段の一つでしかないのに。
 勾玉を奪うために幽世にもぐりこんだ弟が、空疎尊の心変わりをどう思うか、深く考えるまでもない。
(……玉依姫の《剣》が必要なのだ。あの娘本人には、興味はない)
 と、自分に言い聞かせながら、視線がそらせないのはどうしようもなかった。
 日なたの中で猫と戯れる詞紀の姿は、まるでやさしくて切ないお伽話だ。

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