いろめく季節に
春の日差しが京に注ぐ下、牛車は遅々として大路を北へ行く。
簾を巻き上げ、外を見ると、貴族の邸が連なる外壁の向こうで春の花が色とりどりに咲き揃っていた。
――ところで、何故牛車に乗っているのかというと、昨夜、急に恋人が言ったことが原因だった。
「ねえ、詞紀。花を観に行こうか」
「ええ……それは、観たいとは思いますが」
思えば京の四季を改めて感じたことはなかった。というより、そういう余裕が生まれなかった。
京を訪れたのは《オニ》との戦いを控えた頃。その後も傾いた政や治安を取り戻すために、息抜きと呼べる休息は取った日がなかったのだった。(それは詞紀の真面目な性分が災いしているのかもしれないけれど)
今も、秋篠古嗣からそう提案されて、頭をよぎったのは、
(すぐに対処しなければならない問題は、なかったかしら)
という心配だった。
しばらく微笑を浮かべて見守っていた古嗣が、こらえきれないように吹き出して、
「お姫様は心配性だね」
「し、心配などしていません。私達よりも京の政に慣れた方が多くいらっしゃるのですから」
そう口に出してから、確かにそういう貴族が残っているのは京にとって幸せなことだと思った。
「じゃあちょっと出かけようか。……それから、心配しなくても牛車で京を回るだけだよ、詞紀」
古嗣はそう言って詞紀の手をつかんだ。行こうか、と穏やかな口調で言いながら、彼女の手を引く力はとても強い。
そういったわけで古嗣と相乗りになった牛車で京の大路を巡っているが、貴族達の遊覧する名所と違って、京の花の色も味わい深い。(とはいうものの、名所へ行く機会もないから、詞紀には比べる記憶もないのが残念だった)
車内から、小窓を開けて「あれが某の邸」「そこが今は寂れた離宮」などと古嗣が説明する。そのたびに子供のように小窓に張り付いて、詞紀はゆっくりと通り過ぎる、風情ある景色に虜となった。
「こうして見ると、内裏は本当に大きいのですね」
「帝のお住まいになる御所だからね。……ああ、もうすぐ一条大路だ」
「古嗣様?」
思わず振り返ってしまったのは、彼の声が途端に重くなったように感じたせいだ。
牛車はゆっくりと移動していく。広い大路と大路が交差する辻に差し掛かった時、古嗣は重い口ぶりで言った。
「この通りに面して、安倍晴明の邸があるんだ。僕の……その、実の父が生まれた邸が」
そう言う古嗣の顔は、詞紀からそらされている。
詞紀はしばらく一条通りを眺めてから、小窓から離れて彼の手を握った。
「古嗣様の父上は、亡くなった吉影様でしょう? あなたのために命を下さった……ですから、古嗣様の生まれる前のお話は忘れて、あなたを慈しんで下さった方のことだけをお考え下さい」
「……ああ、そうだったね。なんだか、君には隠し事をしたくない気がして」
「あなたのことは、もう何でも知っています。秋篠古嗣様は、秋篠吉影様のご嫡子で、今は亡くなった父上の後を追って、京の政を立て直すために尽力なさっている。そうではありませんか?」
首をかしげて古嗣の顔を覗きこむと、彼は詞紀の肩に腕を回してやさしく抱き寄せた。
「君はすごいな。僕が守ろうとしているのに、君は僕の心を守ってくれる」
「大切な方の辛い顔を見たくないのです。私は、そういうわがままな人間ですよ」
――古嗣の肩にもたれて、その温もりに甘えている今が、ずっと続けばいいのにと考えてしまうのだから。
色づいた花が小窓の向こうでゆっくりと様子を変えていくのを眺めながら、相手の手を強く握った。
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