届かない空

 春の日が注ぐ庭へと飛び出した。
 といっても、いつかのように逃げ出したのではない。ふと見上げた空が青くてあまりにきれいだったから、裸足のままで駆け出てしまったのだ。
 高い空を、手をかざして見上げる。ふと太陽が手に届きそうな気になって、腕を伸ばした。だが、高いと知っている空に、手が届くわけがない。そんな簡単なことを思い知って、思わず一人で苦笑した。
「――詞紀。何をしている」
 ふと呼ばれて振り返ると、夫となった空疎尊が歩いてくるのを見た。
「儀式の直前であろう。智則が待っている」
「ええ……はい、空疎様。でも、あともう少しだけ」
 顎を引いて、詞紀は目を伏せた。
 儀式を遅らせる理由が大したことではないのだから、勤勉な彼にうまく伝えられる自信がなかった。
 しかし空疎尊はしばし詞紀を見守ってから、ふっと微かな息を吐くと、
「夫である我に、そのような下手な隠し事をし果せると思っているのか」
「……隠し事など、そんな」
 頬を染めて勢いのない反論をしようとする。口ごもっているのをさえぎって、空疎尊は踵を返して母屋へと戻っていった。
「智則には、玉依姫は今少し禊の時間を必要とする、と、そう伝えておこう。貴様は、気が済んだら神掲殿へ行くとよい」
「空疎様……」
 彼の後ろ姿を見送りながら、きゅっと両の拳を握った。
 見破られているらしい、――どんなに誇りを持って巫女として務めても、責任感に押しつぶされてしまいそうな時があることを。
 もしも……空に手が届くなら、空を泳ぐ鳥になってここから飛び立っていけるかと考えていた。そこまで見破ったかどうかは知らず、彼はいつも詞紀の弱さを見抜いてくる。
 視界から、その空疎尊の背が消えた時、もう一度空を見上げて、そして思い立ったように彼の後を追った。
 鳥は雛としかいっしょにいないけれど、自分には側にずっと見つめていてくれる人がいる。
 春香殿の階を上がり、廊下を駆けていくと、歩を運ぶ夫の背を目に止めた。慌ただしく駆け寄って、その名を呼ぶと、驚いた顔が振り返ったのと同時にその胸に飛び込む詞紀だった。