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思い出が重なる





 交差した刀を、思い切り押してやると、相手の体は地面に強く尻餅をついた。
「……痛たたた、だけど、胡土前さん。少しは上達してませんか」
 痛みにうめく顔に、無理やり笑みを浮かべて、綾読は言った。痛みをこらえるような笑みでも、彼の浮かべる笑顔は人なつっこい、と胡土前は思った。
「してねえ。俺の横に立って戦うのは、百年か二百年早えんだよ」
 そう答えて、得物の刀を地に突き刺すと、胡土前は近くの岩に腰を下ろした。
「百とか二百とか……だんだん遠くなっていくじゃないですか」
「そんなことより、疲れたから稽古は後にしてくれ。――ああ、そうだ。メシを作れ、メシを。朝からお前の相手をしてると、腹が減るのも早え」
「分かりました! すぐに取り掛かりますので!」
 青年は腰が痛いのも嘘だったように勢いよく飛び上がると、きびすを返して飛んで行った。その後ろ姿を見送り、胡土前は呆れ気味に苦笑した。
 ――大蛇一族は武を尊ぶ一族で、その才がない者は無き者として扱われる。例え他に才能があったとしても、だ。武だけが全てなのだ。
 そして胡土前も今まではそう思っていた。綾読を大蛇一族の集落で拾うまでは。
 彼は書を読むことが好きだった。そして武術以外のことは、大抵のことは習得した。ただ、やはり武の才能だけがない。それがないから上達も難しい。
(……出来ないことはないと思うんだがな。綾読。だが、そう急いで覚えることもねえよ。お前は、今のままでもいい。俺が守ってさえいれば、それでいい――)
 小休止の岩の上で、胡土前は物思いに沈む。物知り顔で、胡土前に兵法の大切さを説く綾読がいい。そして才能がないと理解しながら、上達しようとがむしゃらになる綾読がいいのだ。
「胡土前さん! お待たせしました!」
 まるで犬が尻尾を振るように、綾読は何が嬉しいのが弾けるような笑顔で駆け寄ってくる。
「走るんじゃねえって。せっかく作ったのを、転んでこぼしたらどうすんだよ」
「それは、自分が食べますから、どうぞ熱いうちに」
 皿を差し出す綾読の表情は、何かを期待するように目を輝かせている。味の感想を待っているのだ。胡土前は食べづらいと思いながらも、空腹には勝てず受け取った箸で料理をつまんだ。
 口にすると、相手の顔は一層輝きを増す。きっと「塩味がきつい」「甘い」と文句を言うと、見るからに悄然と項垂れるのだろう。
 しかしそれを試したのでは、さすがの弟子も可哀そうだと思い、胡土前は諦めて「うめえな、綾読」と褒めた。旨いのは本当だ。武術以外は、飲み込みの早い綾読である。
 綾読は嬉しそうに「はい!」と返事をすると、
「では空腹を満たしたら、再度稽古をお願いします!」
 と、今から木刀を構えて、食事中の胡土前と向かい合った。慌てるな、と声をかけようとして、思わず漏れた笑みが胡土前の反論を奪うのだった。



「――どりゃあぁぁあぁぁぁーーーーーー!!」
 後ろから気合の声で叫ぶのを聞いて、胡土前は横に身をそれた。元々彼が歩いていた廊下の真ん中を、隠岐秋房の影が横切って前へと突進していった。
 欄干に振り上げた木刀をぶつけてから、くるりと正面を向けると、
「胡土前殿! その優れた剣術を、私にご教授下さい!」
 そう言ってまた木刀を振り上げて突進してくる。懇願なのか決闘なのか、もはや分からない。
 またもや胡土前はひらりと身をかわすと、今度は秋房の体が先の几帳を押し倒して、いっしょに倒れた。
「……季封の兵を束ねる俺をかわすとは、さすが胡土前殿。だからこそ、やはり諦めきれない……!」
 独り言を言って、秋房は立ち上がる。ゆらりと木刀を構えて立ちはだかった時、
「秋房」
 と、たしなめる、落ち着いた声がして、秋房がびくりと肩を震わせた。
「と、智則」
「稽古をつけて頂くのは構わないが、胡土前殿の迷惑を考えろ。それに、その几帳をどうするつもりだ?」
 感情的ではなく、淡々と訊ねてくるのだから秋房は返す言葉もない。彼が黙って倒れたものを直してから、智則は溜息をついて言った。
「姫からも、あまり胡土前殿に迷惑をかけないように、と釘を刺されている。いい加減にするんだな、秋房」
「……ああ、分かった」
 「姫」――と言われるとおとなしくなる。その様子を傍観していると、思わず胡土前は笑みをこぼし、抑えきれずに笑った。
 二人の青年が同時に振り向き、戸惑うように互いの顔を見合わせる。
「胡土前殿、いかがなされましたか」
 先に聞いたのは智則だった。
「何でもねえ。……そんなことより、客人だって思ってんなら、その客人を放って喧嘩するな」
「こ、これは申し訳ありません、胡土前殿!」
 慌てて背筋を正すのは秋房である。その横で罰の悪そうな顔をして智則も頭を下げる。
 ――何十年も時が経ったのに、秋房の相手をしているとたった一人の弟子を思い出す。似ていると思う。しかしそう思えば思うほど、秋房の横には詞紀がいて、智則がいる。弟子との違いを思うと胸の内が苦しくなる胡土前だ。
(……お前にも友がいれば、鏡に耳を傾けることはなかったのか、綾読)
 過ぎた時を戻ることは適わない。今となっては取り戻せない後悔が、いつまでも胸を食むばかりだ。

「――俺を子供みたいに言うから、胡土前殿が……!」
「だったら子供みたいな言い方をするな、秋房」
 目の前では秋房と智則が、いつまでも不毛なやり合いを続けている。



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