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君を探す






 冬の只中である冬獅殿の稽古場は、踏み入れると足先からひんやりと冷たかった。
 木刀の立てかけてあるところまで歩いていって、言蔵智則は一本の木刀を手に取った。
 冷える夜である。灯りを持っているとはいえ、あまり役に立たないこの闇だ。手にしたのは偶然だったし、それが誰のものかは名も記されていないので分からなかったが、隠岐秋房が愛用している木刀だった。
 それを知らず、智則は灯りを壁の縁に置いて、稽古場の中心へ歩いてきた。
 言蔵家は政と学問の家ではあるが、素振りの方法ぐらい智則も知っている。彼はゆっくりと、構えた木刀を振り始めた。
 家の代表となった彼を、「言蔵の男は刀を持つ必要はない」と止める者はいない。何より夜遅くに起きている長老はさらにいなかった。
(秋房ではだめだ。俺が、詞紀を守る)
 思い浮かべた巫女の顔の隣には、いつも幼馴染の少年も浮かぶ。それが智則の嫉妬心を煽る。
 隠岐家を継ぐまで詞紀の宿命を知らず、さらに無責任にも宿命から逃そうとした秋房を、詞紀は安らぐような眼差しを送っている。
(……受け入れることは、違うのか、詞紀)
 彼女自身が、その宿命を受け入れているのに。
 智則は、言蔵の人間として、――それ以上に詞紀を見守るために、この宿命を受け入れた。大切に思うために、ただ側で見守ろうとして。
 それに、結ばれる定めにないのならば、陰から見守り、守ろうと誓った。
 それではいけないのかと疑念を抱くのは、詞紀が秋房を見る目が穏やかであるせいだ。
「……秋房さえいなければ」
 思わず、そう声に出して呟いた時、あまりの恐ろしさに身が竦んだ。自然に素振りをする手も、足の運びも止まって、智則はうつむいて唇を噛んだ。
 ――秋房もまた、大切な幼馴染であることに違いはないのに。そして、秋房は武を以て《玉依姫》を守る、智則と同じ詞紀の片翼なのに。
 恋をする心は自分の気持ちと、相手しか視えなくなる。
 せめて、この心さえなければ何も考えずに《玉依姫》も季封も守ることが出来ると思う。
 でも心がなければ人を大切にすることも出来ない。その矛盾に、季封の切れ者である智則は、いつまでも答えを出せずに苦しんだ。――



 ――深い夜なのに、廊下を走る音が近づくのを聞いた。
 智則は慌てて木刀を戻すと、灯りを拾い上げて、稽古場から抜け出す。間を空けずにぶつかった影は、今までその存在について考えていた《玉依姫》……詞紀だった。
「姫。このような遅くに、どうしたのですか」
 半ば本心から驚いて、智則が訊ねると、彼女は首をかしげて言い返す。
「それは、智則もそうでしょう。こんな遅くに冬獅殿に何の用があったの?」
「……私は、見回りを」
 頬を引きつらせ、下手な言い訳をする。何もこんな遅くに見回りをする必要はないのだ。
「そうだったの。ありがとう、智則」
 言い訳だと気づいたのか、そうでないのか、詞紀はそう言って微笑む。胸の奥で何かが弾けたような気がした。
「それで、姫は何か……。昼間、忘れ物でも」
「智則を探していたの。なのに部屋にもいなくて」
「申し訳ありません。それで、ご用とは」
「いいえ、特にないのだけど」
「……は?」
 短く聞き返した後、詞紀はいたずらっ子のようにはにかんだ。
「何だか智則と話をしたくなって。歩きながらでもいいから、何かお話してちょうだい」
 「姫を独占できる」という喜びと、姫が自分を探していた真意への戸惑いとが混ざって、智則はうまく笑うことができなかった。
 困ったように笑うと、詞紀とともに歩きながら言った。
「では、信濃守様からお聞きした、京の圧政と各地の反乱についてお話しましょうか」
「ええ、お願い。《玉依姫》といっても、おとぎ話で生きているわけにはいかないもの」
 詞紀は真面目な声で言う。それから彼女の寝室までの距離、しかも静かな夜に、男女の睦言とは程遠い話をして、二人は歩いていくのだった。
 寒空に、透明な月が冷たい光を放って輝いていた。



智則ルートがあるのなら、こんな挿話があるといい、という妄想。

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