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(秋房+詞紀)




 夜の闇が深くなる時刻、足音を忍ばせて春香殿の、玉依姫の私室の前にやって来た。
「姫様」
 そっと声をかけるが、返事はない。
「姫様」
 もう一度、呼びかけた。二度、返事がないということは、もう就寝しているのだろう。
 ――ちょうど夕日が落ちた時間、冬獅殿で一人素振りをしていた秋房の元に、詞紀が訪れて言った。――『まだ休まないの、秋房』と。
 詞紀を玉依姫としての宿命から解放するためには、多くの力がいることを、三年前に知った。
 それ以来、秋房は他の季封の兵を修練する時間が終わっても、一人居残って稽古をしている。
 『もう少しこちらにいます』と彼が返事をしてから、しばらく詞紀はそこで秋房の素振りを眺めていた。時々、稽古の相手を務めてから、彼女は明日も早いからと言って春香殿へ下がっていったのである。
 それからも素振りを続けてから、さすがに秋房も明日の修練のことを考えて、一人稽古をやめた。その頃にはもう三日月が空の真上に昇っていた。
 厨に勤める下女に、握り飯と漬物を用意してもらって、小腹を満たしてから、自分の部屋へ戻る前に春香殿の詞紀の部屋を訪れたのが、すなわち今というわけだ。
 ――やはり、というべきか、詞紀は眠っている様子だ。起きていることを期待していたわけではない、なのに何故だか失望に近い気持ちを覚えた。
 思い返してみれば、昼間は大抵彼女の側にいる。その顔を側で見ている。詞紀がどんなに表情を無くしていても、彼女の存在は秋房にとって太陽と同義であり、彼女が眠ってしまうと、日が沈んだのと同じ物悲しさを感じる。
(姫様。ごゆっくり、お休みください)
 厚い引き戸の前で、秋房は頭を下げて、胸の内で呟いた。
 しかし、太陽が沈んでいるのは永遠ではない。夕方沈めば、一晩明けて、また新しい日が昇る。同じように、明日になったらまた詞紀はいつもの、他人を慈しむ笑顔で冬獅殿を訪れるのだ。
 そう思うと、なんだか安心して、秋房はきびすを返して自分の部屋へと戻っていく。明日になれば詞紀を守るための力がついていることを望みながら。

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